母の分骨
京都から、戻ってきた。
どうにも、具合が悪い。
疲れかと思っていたが、そうではないかもしれない。
きょう稙田で、エレベーターに乗る人を見た。
初老の男性。ベージュのジャケットに白いシャツ。黒っぽいズボン。背格好はダーリン
ぐらい。
でも、エレベーターに 誰も乗っていなかったのだ。
ひょっとしたら、連れて帰ってきたのかもしれない。
あす、おいちゃんに電話してみよう。
でも、息子家族に逢って、安心した。
まごたちも愛らしくて、動物園でもよく遊んだ。
良い京都旅行でありました。
母の分骨。
11月3-7日まで、京都へ行ってきた。
大谷本廟に母の分骨をするためである。
父を45年前に分骨して、2012年に兄の分骨。
そして、今回、母自身の分骨であった。
人は、次々と順番に死んでいくものだと、つくづく思った。
今回は、夫と、息子家族といっしょであった。
受付で、6万円払い、祖壇納骨というものにする。永代供養になるので、安心である。
カードをもらい、証明書と、首にかける今朝の一部のようなものをもらう。
飾り物は母のものは母と一緒に逝ったから、これでよいのであろう。
息子たちが来て、一緒ににお堂に並ぶ。幼い女の子の孫が、時々、こちらをちらりと見て様子をうかがうさまが愛らしい。
私たちのほか、5-6家族が一緒にお経を唱えてもらう。
何かきっとご縁があるのかもしれない。一度お骨を受け取り、
改めで、お堂の前でお骨をお供えして、納骨になった。
やはり、母の一部があちらにいってしまうのか、と 涙が出た。
でも、父も兄も一緒だから、心配はいらないね。
ね、母ちゃん。。。
後見人の書類送る。
今日は後見の最後の書類を送った。
本当にこれが最後の書類。。。
母がやらないというから、仕方なく兄の後見人を引き受けて、自然と、母の後見人にもなったわけだが、15年ぐらいはやってきた。
本当に長かった。うんざりだ。
今日は栗おこわを作った。
なかなかおいしいものができたと思う。
栗を剥くのはむつかしい。
さりとて、中国産の怪しいものは買う気になれない。
そうおもっていたら、ありがたいことにデパートの物産展で買うことができた。
1000円であったが、手間暇かかっていて、ありがたい。しかもおいしい。
最近はインターネットでおいしい献立ができるから、本当にありがたい。
明日は、孫たちがやって来る。しようかな?
おじんとサラダを考えているけれど、どんなサラダにしようかな?
後見人の仕事。
今日は後見人の仕事をした。
いよいよラスト。
すべての預金を引き下ろして、自分の口座に入金する。
土地も自分のものにしてからと思ったけれど、そうではなかったらしい。
つまり、母の生存していたころまでの預金の報告をすればよかってわけで。。。
何とも回り道をしてしまった。
家族葬とは、お参りをしなければ、お香典も包まなくてよいものだろうか。。。
いつもいつも、誰彼が死んだ、と大騒ぎしてくる友人が、お参りどころか、母にお香典がない。
お参りは無理にしても、お香典は普通つつむのでは?
残念でならない。私の思いは一方的だったのだろうか。。。
もう、しばらく連絡を絶つことにする。
こんなことできるなんて、友達ではない。
彼女の母親からも、いやな仕打ちを受けたことがある。
彼女に頼まれて、商品を選んでもらいに行ったときのあのひとのさげすんだような目は忘れられない。
なぜ?
いまだにわからない。
クリーランクしておこう。
きっと私にとって、いやな方の4人であったのだろう。
お香典は包んだけどね。。。
ぎっくり腰
今朝8時ごろ、母の担当の介護士さんから電話があり、いつものことながら、とうとう来たか!
と、飛び上がりました。
結局、看取りだから、少し早いけれど、介護士さんが、施設庁と交渉してくださり、もう面会に来ていいですよ。という丁寧なお電話でした。
飛び上がったせいか、前々から、予兆のあったぎっくり腰になってしまいました。
ぎっくり腰には慣れているので、ウエストに芯のしっかり入ったウエストニッパーと、腰にゴムベルトをきりりとに巻いて、私はぎっくり腰なんかじゃないと、自分に言い聞かせて、すぐに支度して、1時間半後には母のもとに駆けつけられました。
母は想像よりぐったりしていて、血圧、酸素濃度も安定はしているけれど、表情は以前のはつらつとした母の其れではなく。。
いつものように髪をとかし、手足をマッサージして、顔を掌で包んで、声をかけて後ろ髪惹かれながら、帰宅しました。
一緒に来てくれた主人に感謝です。
明日は、朝いちばんに腱引きに行きます。
私の先生は日本一の腱引き師。ぎっくり腰でも、その日のうちに歩いて帰ります。
股関節が悪く、毎月ぎっくり腰になり、情けなくて、自殺願望まで出た時期に先生に追うことができました。
先生に感謝です。
母の看取り
ブログっていうものがあることは昔から知っていましたが、他人の話にほとんど興味ははありませんでした。
でも、今回の帰省で、息子から、自分もやっていると聞き、急に興味がわきました。
思っていることが書けるところ。。。吐き出せるところ。
私の場合、いろんな人から、頼られることは多いけれど、頼ろうと思う人はあまりいない。
いや、きっと、こんなこと言ってもわかってもらえないから、と意地っ張りな私が最初からあきらめているところもあるかもしれないけれど。。。
6月から、介護施設にいる実母の体調が悪くなり、7月の半ばから、看取り状態になりました。
担当医からの説明を受けて、施設で最後までお願いしますという印鑑を押して、早一月。
看取りという意味もよくわからず、高速で一時間車で駆けて母のところに一日おきに通います。
最初は母は、すくに逝ってしまうと、泣いてばかりいたけれど、母の足をさすり、手を握り締めてほほをなでる日々がありがたいことに続いている。
母は私を認識はしていない状態だけれど、心の中で、ありがとう、産んでくれて。と話しかける。母は目を閉じて、じっと聞いている
そうしているうちに私の心は落ち着いてきて、こんなに、ゆっくり母とのお別れができるのは、なんてありがたいのだろう!と、感謝できるようになりました。
今は、県外からのものと接触したということで、面会禁止になっていますが、早い再会を望むばかりです。
お世話してくださっている施設の皆様、心から感謝しています。
本当にありがとうございます。
今後も母の事よろしくお願いいたします。